どこよりも誠実な会社で
在り続ける
NONOYAMA MASAHARU
野々山 正春
野々山建設株式会社
愛知県知立市出身。大学卒業後、設計事務所に勤務し設計士として経験を積む。その後、父が創業した野々山建設の経営危機を受け、帰郷して事業再建を決意。8億円を超える負債を抱えながらも、誠実な取引と地道な努力で会社を立て直し、現在は公共工事や特殊建築を中心に売上16億円規模の企業へと成長させる。趣味は建築模型づくりとゴルフ。
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AICHI
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信頼と努力で愛知に貢献を続けている建設会社
1967年の設立以来、知立市を拠点に街づくりを支えてきた野々山建設株式会社。公共工事からクリニック・福祉施設・ゴルフ練習場の改修まで幅広く手がける地域密着型の建設会社です。その舵を取るのは、二代目の野々山正春社長。父の代で発生した約8億円の負債を背負いながらも、信頼と努力で会社を再建。「誠実に、愚直に。どんなときも人を裏切らない」その信念のもと、社員とともに歩んできた復活の物語を伺いました。
Q:まず、野々山建設の事業内容を教えてください。
A(野々山さん):私たちは総合建設業として、建築・土木・設備工事の3本柱で事業を行っています。特に特徴的なのは、住宅よりも非住宅系の建築に強い点です。大手ゼネコンが扱わない“ニッチな領域”に特化しており、ゴルフ練習場の改修やガソリンスタンド・水素ステーション工事、クリニックや福祉施設、古民家再生など、専門性の高い案件を得意としています。また、公共工事にも力を入れており、建築部門はAランク指定業者。文部科学省や財務省(東海財務局)など、国や県、および市からの発注工事も多数請け負っています。
Q:まず、野々山建設の事業内容を教えてください。
A(野々山さん):私たちは総合建設業として、建築・土木・設備工事の3本柱で事業を行っています。特に特徴的なのは、住宅よりも非住宅系の建築に強い点です。大手ゼネコンが扱わない“ニッチな領域”に特化しており、ゴルフ練習場の改修やガソリンスタンド・水素ステーション工事、クリニックや福祉施設、古民家再生など、専門性の高い案件を得意としています。また、公共工事にも力を入れており、建築部門はAランク指定業者。文部科学省や財務省(東海財務局)など、国や県、および市からの発注工事も多数請け負っています。
倒産寸前企業が成し遂げた奇跡の再建
Q:二代目として会社を継がれた当時、経営は相当厳しかったと伺いました。
A:はい。父の会社が信頼していた右腕に資金を横領され、さらに連帯保証によって8億2,000万円の負債を抱えました。正直、目の前が真っ暗でしたが、それでも「この町と会社を残したい」という想いだけで帰ってきました。資金繰りに奔走し、親戚からは門前払いの状況。もう手形が落ちないという瀬戸際で、かつて工場を建てさせていただいたお客様が「お前のお父さんには恩がある」と2,500万円を貸してくださったんです。そこが現在のV字回復の原点となりました。あのときの言葉…「お前が一生懸命やってるから人が助けてくれる」が今も、私の原動力になっています。
Q:そんなドラマがあったのですね。そしてどのように会社を立て直されたのでしょう?
A:そんなことか、と思われるかもしれませんが、嘘をつかないことを徹底しました。どんなに厳しくても数字をごまかさず、地道に返済を続けました。設計事務所時代に学んだ「返済計画の立て方」がここで活きましたね。9年間で3億円を返済し、1994年に父が亡くなったときには残り5億円まで減っていました。そして2019年、ついに全額返済。“倒産寸前”だった会社が、2025年現在では自己資本3億2千万円超・売上16億円規模に成長しました。苦しい時代を支えてくださったお客様、社員、家族には感謝しかありません。
Q:ちなみに非住宅分野に特化された理由は?
A:簡単に言えば「勝負する場所を変えた」のです。大手と同じ土俵で競っても勝てません。だからこそ、大手が手を出しにくい分野で技術と信頼を積み重ねることにしました。たとえばゴルフ練習場やガソリンスタンドの改修などは、安全基準や法令が複雑で、扱える会社が限られます。私たちはそうした“難しい仕事”を丁寧にこなすことで、「野々山に任せれば安心」と言っていただけるようになりました。この戦略も、会社が復活した背景のひとつですね。
A:はい。父の会社が信頼していた右腕に資金を横領され、さらに連帯保証によって8億2,000万円の負債を抱えました。正直、目の前が真っ暗でしたが、それでも「この町と会社を残したい」という想いだけで帰ってきました。資金繰りに奔走し、親戚からは門前払いの状況。もう手形が落ちないという瀬戸際で、かつて工場を建てさせていただいたお客様が「お前のお父さんには恩がある」と2,500万円を貸してくださったんです。そこが現在のV字回復の原点となりました。あのときの言葉…「お前が一生懸命やってるから人が助けてくれる」が今も、私の原動力になっています。
Q:そんなドラマがあったのですね。そしてどのように会社を立て直されたのでしょう?
A:そんなことか、と思われるかもしれませんが、嘘をつかないことを徹底しました。どんなに厳しくても数字をごまかさず、地道に返済を続けました。設計事務所時代に学んだ「返済計画の立て方」がここで活きましたね。9年間で3億円を返済し、1994年に父が亡くなったときには残り5億円まで減っていました。そして2019年、ついに全額返済。“倒産寸前”だった会社が、2025年現在では自己資本3億2千万円超・売上16億円規模に成長しました。苦しい時代を支えてくださったお客様、社員、家族には感謝しかありません。
Q:ちなみに非住宅分野に特化された理由は?
A:簡単に言えば「勝負する場所を変えた」のです。大手と同じ土俵で競っても勝てません。だからこそ、大手が手を出しにくい分野で技術と信頼を積み重ねることにしました。たとえばゴルフ練習場やガソリンスタンドの改修などは、安全基準や法令が複雑で、扱える会社が限られます。私たちはそうした“難しい仕事”を丁寧にこなすことで、「野々山に任せれば安心」と言っていただけるようになりました。この戦略も、会社が復活した背景のひとつですね。
忘れない社員への「感謝」と「気配り」
Q:現在の主要プロジェクトについて教えてください。
A:いま手がけているのは、2026年アジア大会のクレー射撃場(豊田市足助町)の競技フィールド改修です。施設全体の中核部分を担当しており、数億円規模の工事になります。また東京のデベロッパーと協力し、名古屋市内で10階建てのワンルームマンションの建築も進行中です。このように、公共×民間の両軸で事業を展開しながら、特殊工事を得意とする企業として、愛知での存在感を高めています。
Q:社員の方々への想いをお聞かせください。
A:どんなに会社が大きくなっても社員への「感謝」と「気配り」は絶対に忘れません。たとえば毎年クリスマス前には、社員全員にケーキをプレゼントしています。お父さんやお母さんが忙しくても、家族みんなで笑顔になってほしいから。そんな小さな心配りを大切にしています。また、慰安旅行では宴会ではなく食を楽しむ時間を企画します。フレンチや和食の会席をみんなで味わい、テーブルマナーを学ぶ。そういう“人間として豊かになれる時間”を共有することが、会社を強くすると思っています。
A:いま手がけているのは、2026年アジア大会のクレー射撃場(豊田市足助町)の競技フィールド改修です。施設全体の中核部分を担当しており、数億円規模の工事になります。また東京のデベロッパーと協力し、名古屋市内で10階建てのワンルームマンションの建築も進行中です。このように、公共×民間の両軸で事業を展開しながら、特殊工事を得意とする企業として、愛知での存在感を高めています。
Q:社員の方々への想いをお聞かせください。
A:どんなに会社が大きくなっても社員への「感謝」と「気配り」は絶対に忘れません。たとえば毎年クリスマス前には、社員全員にケーキをプレゼントしています。お父さんやお母さんが忙しくても、家族みんなで笑顔になってほしいから。そんな小さな心配りを大切にしています。また、慰安旅行では宴会ではなく食を楽しむ時間を企画します。フレンチや和食の会席をみんなで味わい、テーブルマナーを学ぶ。そういう“人間として豊かになれる時間”を共有することが、会社を強くすると思っています。
「どんな形でもいい」狙うは海外進出
Q:今後の展望をお聞かせください。
A:国内は少子化で市場が縮小していくのは避けられません。ですから今後は、スーパーゼネコンの協力会社として海外へ挑戦したいと考えています。いきなり単独進出ではなく、まずは大手の下でノウハウを学びながら。いっそ、“金魚のフン”でもいい。確かな技術と誠実さをもって、海外でも「野々山の仕事」を評価されるようになりたいです。
崖っぷちからの再建。誠実さを武器に、地道な努力で信頼を取り戻した野々山建設には、その奇跡を裏付ける情熱がありました。「助けてくれた人への恩を忘れない」野々山建設のその思いが、いま社員一人ひとりに息づいています。どんな逆境でも前を向き、人を大切にし続ける。それこそが、野々山建設が築き上げた最大の“建造物”なのかもしれません。
「どんな仕事でも、誠実であることが一番の武器です。どんなに技術があっても、人に信頼されなければ長くは続きません。まず挨拶をする。感謝を言葉にする。これを大切にしてほしいです。そして、失敗してもいい。諦めずに努力を続ければ、必ず見てくれる人が現れます。私自身、たくさんの人に支えられてここまで来ました。だから今度は、次の世代を支える番だと思っています。“誠実な建設会社”として、これからも地域に貢献していきたいです」
A:国内は少子化で市場が縮小していくのは避けられません。ですから今後は、スーパーゼネコンの協力会社として海外へ挑戦したいと考えています。いきなり単独進出ではなく、まずは大手の下でノウハウを学びながら。いっそ、“金魚のフン”でもいい。確かな技術と誠実さをもって、海外でも「野々山の仕事」を評価されるようになりたいです。
崖っぷちからの再建。誠実さを武器に、地道な努力で信頼を取り戻した野々山建設には、その奇跡を裏付ける情熱がありました。「助けてくれた人への恩を忘れない」野々山建設のその思いが、いま社員一人ひとりに息づいています。どんな逆境でも前を向き、人を大切にし続ける。それこそが、野々山建設が築き上げた最大の“建造物”なのかもしれません。
「どんな仕事でも、誠実であることが一番の武器です。どんなに技術があっても、人に信頼されなければ長くは続きません。まず挨拶をする。感謝を言葉にする。これを大切にしてほしいです。そして、失敗してもいい。諦めずに努力を続ければ、必ず見てくれる人が現れます。私自身、たくさんの人に支えられてここまで来ました。だから今度は、次の世代を支える番だと思っています。“誠実な建設会社”として、これからも地域に貢献していきたいです」