伝統を守るために攻める

ASAI NOBUTARO

浅井 信太郎

株式会社まるや八丁味噌

1949年、愛知県岡崎市生まれ。1978年に株式会社まるや八丁味噌へ入社。2004年より代表取締役社長。ドイツ留学時に出会ったオーガニック思想に影響を受け、1980年代から有機大豆を使った八丁味噌を開発。日本初の有機認証八丁味噌として海外20カ国に輸出。厚生労働省「現代の名工」にも選出され、伝統の木桶仕込みを守りながら新たな市場を開拓する“攻める伝統職人”。海外では「Mr. HATCHO」として知られる。

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AICHI

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歴史を背負い攻め続けている八丁味噌屋

愛知・岡崎。徳川家康の生誕地から八丁(約870メートル)離れた八丁町に、700年近い歴史を持つ味噌蔵。それが「まるや八丁味噌」です。大豆と塩のみを原料に、なんと2年以上熟成。巨大な木桶に3トンの石を積み上げ、乳酸菌の力だけでゆっくりと発酵させます。その味噌づくりを守りながらも、世界20カ国へ輸出し、次世代へと伝統をつなぐのが、浅井信太郎代表です。彼が語るその言葉には、700年企業の矜持と、ものづくりへの静かな情熱が宿っていました。

Q:まるや八丁味噌の製法には、どんな特徴があるのでしょうか。
A(浅井さん): 八丁味噌は、木桶に大豆と塩だけを仕込み、上に約3トンの石を円錐状に積んで、二夏二冬(2年以上)熟成させます。この石積みは、味噌の中の原料を自然に循環させるためのもの。水分量の少ない八丁味噌は、これによってゆっくりと発酵が進みます。
積み方には熟練の技が必要で、一人前になるまでに10年はかかります。私は自分でも仕込みに立ちますが、厚生労働省から「現代の名工」として表彰を受けたのも、代々受け継がれたこの技を守り抜いてきたことが評価されたのだと思っています。木桶の中では、乳酸菌が自然に働き、チーズのようなまろやかさを持つ味噌に仕上がります。添加物も酵母も使わず、“菌が住みつく環境”を整えるのが私たちの仕事です。

「有機」にこだわった理由

Q:伝統と革新を両立されていますが、「有機」への挑戦も早かったそうですね。
A:1980年代、有機という言葉がまだ一般的でない時代に、有機大豆を使った八丁味噌を作りました。国内では反対も多かったですが、「日本の伝統を世界に伝えたい」という思いで輸出を始めました。今ではOCIA(アメリカ)、ECOCERT(ヨーロッパ)、コーシャ(ユダヤ教認証)など、世界の有機認証を取得し、毎年相当量を海外に出荷しています。

Q:なぜそこまで「有機」にこだわったのですか?
A: 若い頃ドイツに留学し、質素で誠実な暮らしをしている人たちと出会いました。彼らが自然と共に生きる姿勢に強く共感したんです。ドイツで出会った学者や医師たちは、マクロビオティックやオーガニックを通じて“人間の自然なバランス”を取り戻そうとしていました。その考え方が、今のまるやのものづくりにも深く息づいています。

なくして後悔しても遅い

Q:伝統を守る上で、特に大切にしている考え方は?
A: 「なくしてしまった後、しまったと思っても遅い」これは私の持論です。職人の技も道具も、失われてからでは取り戻せません。例えば八丁味噌を仕込む木桶。20年前に新調しようとしたら、桶職人に「もう作れない」と言われました。それでも諦めずにお願いし、毎年3つずつ作ってもらうことを約束して、今も続けています。その結果、後継者が育ち、今では全国の醸造業者がその職人に依頼するようになりました。伝統を守るとは、技を残すために“動くこと”なんです。

Q:地元との関わりも深いですよね。
A: 2007年に「三河プロジェクト」を始めました。西尾産のフクユタカ大豆と奥三河の天然水で仕込む、まさに“地元の味噌”です。また、三河武士の精神をテーマにした「サムライ日本プロジェクト」にも参加しました。600年の歴史の中で、漫画キャラクターをパッケージに入れたのは初めて(笑)。伝統に新しい風を入れる良い機会になりました。

時代が変わっても信念は貫く

Q:八丁味噌を世界に広める取り組みもされていますね。
A: 1968年にアメリカへの輸出を始め、翌年にはヨーロッパにも販路を広げました。現在は世界20カ国で販売しています。現地に工場を建てることはありません。八丁味噌は「岡崎城から八丁離れたこの地の味」。ここでしかできないものを届けるのが私たちの使命です。

Q:海外での反響はいかがですか?
A: 非常に良い反応をいただいています。私は毎年、冬のニューヨークに自分で味噌汁を持っていき、シェフたちに直接提案してきました。彼らの自由な発想で、八丁味噌をステーキソースやデザートに使ってくれる…それが本当にうれしいですね。最近は「MISO Powder(味噌パウダー)」という新商品を開発し、ヨーロッパのレストランにも提案しています。アイスに振りかけてもステーキにかけてもおいしい。味噌の新しい形として期待しています。

浅井信太郎さんの言葉は、700年の歴史を背負いながら未来を見据える職人の信念そのものです。木桶に石を積み上げ、発酵する音を聞きながら、浅井さんは今日も蔵に立ちます。
伝統を守るために、攻め続ける。それが、まるや八丁味噌の生き方なんです。

「伝統を守ることは、決して古いことではありません。私たちが続けているのは、ただの食品づくりではなく、“日本人の精神文化”そのものです。そして、どんなに時代が変わっても、自分の信念は貫いてほしい。理解してもらうための努力を怠らず、誠実に続けていけば、必ず共感してくれる人が現れます。伝統と革新、右と左…その両方があるからこそ、社会は豊かになると思っています」